過去ログ:2010/11/29

『音屋としてのスタンス』


超底辺的で非道徳的で外道な僕にも友人が居て「おまえ今何やってんの?」とたまに連絡が来たりする。ごく稀に。

具体的にはSkypeとかを通して歌のテイク送ってもらったりしてそっから選んだりMixというギターやらドラムやらと歌を混ぜるという作業を延々としている。

しかし「ニートだわ。相変わらず」と返答している。
別にお金もらってるわけではないし面倒なので。

「お金もらってない」っていうのは理由があり「自分は未熟だ」と思ってるからであり、関わった作品で報酬が発生する可能性は極めて低い為(これはクオリティ云々より運の話ね)でもある。
僕がすげぇ優秀であればとうにどっかにヘッドハンティングされてここに日記を書いてる暇なんかないはずだ。

タイトルは「音屋としてのスタンス」と書いたが別にお金の話を書こうと思ったわけではない。
依頼を受けたり声をかけたりという中で自分の「音作りに対してのスタンス」を書こうかと。

何も無い状態から作品を作るのだけが「創作」ではなくて、作品に更にスパイスを加えたり減らしたりするのも「創作」だと僕は思っている。

それを前提に話を進めていくとして「完璧な作品とは何か?」というのを最近考えている
ていうか今日考えたんだけど


結論から言うと「完璧な作品なんて存在しない」というのが僕の自論


例えばスピッツの「夢追い虫」とかは僕の中でかなり完璧な作品の部類に入る。
だが作り手は「夢追い虫」を世に送り出した時どういう気持ちだったんだろう?と考えてしまう。

草野マサムネは歌のテイクに満足していたか?
ディレクター・プロデューサーは自分でokを出したVocalテイクや選んだスタジオ、エンジニアで正しかったと思えたのか?
エンジニアは自分が作った音に満足出来たか?

挙げればキリがないが誰かしらどっかで不満があったのではないかと推測する。


レーベル等に属している限り制作期間に〆切りというものは必ずある(例外としてレディヘなんかは何かのアルバムで「自分らの好きなように時間をかけて作った」っていうのをロキノンで見た覚えがあるな)。

マチュアでの活動には期限なんて存在しない。言ってしまえば延々と一つの作品を弄っててもいいわけだ。
ましてや今は家でプロクオリティの曲なんて作れてしまう時代だ。

その中で妥協点を見つけれない人が多い気がする。僕含め。


「完璧な作品など存在しない」と上で言い切ってしまった故やはり妥協点を見つけていかなければいけない。
では演奏者でもなく作曲者でもなくただ音作りだけをしている自分の妥協点はどこなのだろうと考えた。

「何回リピート再生しても飽きない音」を作ることを今は落としどころにしておきたい。

現役だった頃から今に至るまで関わった作品は結構あるけれど満足したことなんか一度もない。

もう少しHiを上げていれば
もう少し音圧詰め込んでいれば

細かいところから大きなところまで腐るほどある。

しかし「何回リピート再生しても飽きない音」にやんわりボーダーラインを引けば次に進んでいけるような気がした。

そういう作品を何度も何度も作り続けていけば自ずとボーダラインも底上げされていくんじゃないだろうか?という曖昧な想像からだけど。

これってどの職種にも当てはまるんじゃないかな。
作曲家であれば「何回リピートしても飽きない曲」とかさ。他にも色々。


これは2010年11月29日00時59分37秒現在の考えで、人生を消化していけばまた変わると思う。
「妥協」と「手抜き」は違うという事を肝に銘じた上でこの長ったらしい支離滅裂な文章を終えたいと思う。

どんなに頑張っても作品を評価するのは他人
ある程度不完全なほうが人間味があって好きだな。僕は