過去ログ:2009/02/16

『 』


夢というものに置いて行かれた僕はまもなく東京を去る事になりそうです。


人はいつしか夢というものを見なくなります。
野球選手になりたかった人、歌手になりたかった人。

大人になるにつれ自分と夢との距離を知ってしまった人の大半はその果てしなく長い道を追いかけなくなるものだと思います。
それが大人になるということなのかもしれません。


僕は音楽が好きで高校時代バンドをやっていました。
ただ演奏者、アーティストとしての才能が自分に無い事に僕は気付いていました。

それでも音楽に日々触れていたかった。作り手でいたかった。


「裏方でならそれができるかもしれない」

そう思った僕はレコーディングというものを学ぶ専門学校に入りました。

軽い気持ちで進んだレコーディングの道。
けれどもそこで学んだ一つ一つの事はとてもとても楽しくそして輝いていて「自分の居場所はここだ」と思いました。

そうして日々は過ぎ、僕は小さいながらもレコーディングスタジオという音楽業界の狭き門に潜り込む事が出来ました。

そこでの生活は毎日が忙しく、僕の信じていた音楽というものが崩れていくような感覚を味わいました。
月日が流れるにつれ自分は音楽好きなのかどうかもわからなくなっていきました。


消費されていく音楽
詐欺と言ってもおかしくない音楽

色々なものに侵食され僕の心は暗く淀みました。

それでも数回ながら素晴らしいアーティストに出会う事が出来たり、尊敬できる人間に出会うことができたのが唯一の救いだったかもしれません。


専門学校の同期で音楽業界に進んだ人はほんの少ししかいませんでした。

それでもその友人達と「いつか絶対俺たちの音楽を世の中に出そう」と夢を語りあい僕は仕事の傍らで友人達と音楽を創り続けていました。

それがほんの少しだけ自分に残された希望だったから。


今から数えて一年前の二月。僕はうつ病を患い仕事を辞める事になりました。
夢を叶えたけれど僕は夢を見続ける事ができなかったのです。


仕事を辞めてからも、僕の体は音楽を創る事を欲しました。

友人も素人に毛の生えた程度の僕にMIXの仕事を回してくれたり、音楽製作の過程に僕のアイディアをねじこんでくれたりと支えてくれました。

第一線を離れた僕ですが音楽を聴くときは常に自分の感性が衰えてしまわぬようにと耳を使っていました。


そうして凛とした速度で月日は流れ今の自分がいます。
大切な人は夢に向かい僕の元から羽ばたいていきました。

僕も最後の力を振り絞り、音楽業界への復帰を目指しましたがそれは叶わずまもなく東京を離れる事になるでしょう。


今の僕の年齢が若いかどうかはわかりません。ただ僕の思い描いていた自分には届かなかった。
それでも音楽を僕は変わらず好きでいます。


実家に戻ってもこの気持ちは覚えているかな?
現実に押しつぶされずにまた夢を追いかけれるかな?


今は光の見えない暗闇にいるけど、いつかそんな日々も歌になる日が来ればいいなと思います。

悲しくても僕は泣かない。泣けないと言ったほうが正しいんだけれど。
辛いことも楽しいことも大切な経験だから。

もしまた夢に追いつける日がくればその時は嬉し泣きしてやろうと思います。
いつの日かみんなで音の中で遊べる日がまた来たら、一緒に転げまわるほど笑ってやろう。


自分の居場所は自分で見つけるしか方法はない

死ぬまで生きてやります
未来は生きた先にしか転がっていないから


2011年追記-----------------

ここが一番「死」と隣り合わせだった気がする。
友人や両親の存在がなければここに僕はいなかっただろう。

本当にありがとう